明治二十一年五月、法律第一号で市制・町村制が公布され、新しく町村区域を編制して、自治にたえうる有力町村をつくりだすことにした。県は同二十一年五月「町村合併調書」を作成、九月四日「町村施行順序」を決め郡長に内示した。その内容は山田中村・塩生村・小鍋村三ヵ村を一区域として一村をつくることであった。三ヵ村合わせて四九三戸、地価金六万七二〇〇円である(第一次諮問(しもん)案)。
三ヵ村とも諮問案に賛成、明治二十二年四月一日、小田切村として発足した。役場は、同十九年に新築した建物を使用することとした。昭和二十九年(一九五四)長野市に合併するまで六四年間つづいた。