昭和二十八年、町村合併促進法が公布され、適正規模の町村をつくることになった。長野市に近接した各村には早くから合併問題が提起されていた。
小田切村では七二会(なにあい)村との合併が画策されていた。七二会村と合併すれば、枇杷(びわ)峰を分水嶺とする旧小鍋村は、実生活上長野市との関係が深いので、分村して長野市へ合併する懸念がある。分村を防ぐには長野市へ合併するのがよく、それも自分から申し出ないと取り残される心配もある。そこで村は昭和二十九年一月二十六日、各種団体役員等を含めて合併懇談会を開催した。その席上で合併促進懇談会を結成することが決まった。同会は、同年二月二十二日長野市への合併を決議し二十四日に申し入れ、四月一日、近隣の一〇ヵ村とともに長野市へ合併した。