三 村名「小田切」の由来

713 ~ 713

 郡長から内示された諮問(しもん)案の村名は、もっとも戸数の多い「塩生(しょうぶ)村」であった。三ヵ村は「古来三ヵ村は勝生の郷小田切の里と唱えられていたし、村内に小田切神社もあるので新村名を小田切村としたい」と答申した。郡長もはなはだ適当であると賛成し小田切村と決定した。塩生村は草山年貢帳にある旧村名、小田切の里と唱えられていたのは、鎌倉時代から慶長(けいちょう)三年(一五九八)まで小田切氏が地頭として三ヵ村を治めていたからである。