麻庭集落のなかほどの畑から、たくさんの土器の破片や石器が採集されている。麻庭の土器は、縄文中期(四五〇〇年前ごろ)のものが一番多い。ここの土器は在地のものが多いが、そのなかに中期前葉の岐阜方面の白い土で焼いたと思われる土器がある。後葉の唐草文(からくさもん)土器の破片があり、これは中信地方で使われているもので、麻庭遺跡には遠方の土器がもたらされていたのである。また、磨製石器や土偶(どぐう)の足の部分も出ている。さらに、弥生後期の土器が一点見つかっている。その他、早期の黒曜石(こくようせき)の鍬形鏃(くわがたやじり)(川後)、前期の石匙(さじ)(馬神、お供平(ともだいら))、中期の隆帯文土器(川後)、後期の網代(あじろ)底土器、有柄鏃(ゆうへいぞく)、磨石(ませき)と石皿などがあり、石皿はかなりへこんでいて長く使用されたことがわかる。