塩生甲 犀川左岸にそびえる、すり鉢をふせたような独立丘のうえにある。標高六一九メートル、犀(さい)川からの比高は二二〇メートル、当城から川中島平を一望することができる。ふもとの吉窪集落からの比高は七〇メートル、城下に通っている善光寺道(大町街道)をおさえている。本城の前面(大手)は、犀川に臨む急峻な斜面で、攻めるには搦手(からめて)の吉窪集落の方から攻めるしかない堅固な城である。水が一滴もないので吉窪集落が根小屋で、本城は最後の戦いの拠点、つまり、詰(つめ)の城山であった。
遺構は、搦手への道が幅一メートル、七曲がりの小道となっている。本郭(ほんくるわ)は、南北二八メートル、東西六一メートル、東方に一メートルの段差がある。中央部には巨岩が点在していて削平困難のため、背骨状の小丘となっている。西側に高さ二~三メートル、上幅二メートル、下底幅六メートル、長さ三三メートルの大きな土塁がある。二の郭は、東西南北三三メートルのほぼ正方形で、四囲に土塁を巡らしている。弘治三年葛山城が落城したとき自落した。古来この城は小市城ともいわれ小田切氏の持ち城とされたが、塩入志摩守の城ともいわれている。