小田切地区には、石造文化財は最近建立(こんりゅう)された記念碑や顕彰碑も含め三七九基ある。主なものの数とその一番古い造立年(括弧内)はつぎのようである。馬頭観音九一(一七五六)、道祖神四〇(一七八二)、六地蔵三八(一七九〇)、庚申塔(こうしんとう)三三(一八〇〇)、筆塚二六(一八四九)、地蔵二五(一六九四)、石灯籠(とうろう)一六(一七九七)、巡拝塔一五(一八九二)、供養塔一〇(一八五九)、聖観音(しょうかんのん)八(一七〇二)、念仏塔六(一七六三)、万霊塔五(一七一九)。
一番多いのは馬頭観音で、江戸中期以降で一番古いものは、宝暦(ほうれき)六年(一七五六)である。馬の供養のためで、村ではたくさんの馬が農耕や運搬に使われ、家族同様に家のなかで大切に飼われていた。
道祖神は、村境や道端に立って悪疫などの侵入を防ぎ、村人を守る神で、この村のものは文字だけの碑である。天明(てんめい)二年(一七八二)のものが一番古い。庚申塔は、六〇日に一度巡ってくる庚申の晩に庚申待をおこなった講が建てた。この村では庚申講が盛んにおこなわれてきた。地蔵は、現世利益と死後の世界に迷う亡者を救済する功徳をもっている。庶民のあらゆる希望をかなえてくれるとされ、六地蔵三八、単体の地蔵二五にのぼる。寺子屋が水内(みのち)郡でできはじめたのは元禄(げんろく)年間(一六八八~一七〇四)で、このころ農村に学問のある人がふえてきた。教養を身につけた地主や神官、僧侶が寺子屋を開くようになった。小川村久木の石坂氏が最初に寺小屋を開いたといわれ、小田切では宝暦(ほうれき)年間(一七五一~六四)繁(しげ)の名主岡村与一が最初である。筆塚はこれら寺子屋の師匠を称(たた)えて建てた。