一 松代藩に属した小田切

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 小田切地区は、鎌倉時代の初めから弘治(こうじ)三年(一五五七)二月十五日、武田氏に攻められて小田切駿河守(するがのかみ)が葛山城で討ち死にするまで、約三百六十年小田切氏が領有した。長篠の戦ののち武田氏に属し、ついで上杉氏に属して小田切地区を治めた。上杉景勝が会津へ転封(てんぽう)したあと、小田切地区は豊臣氏の蔵入地、森忠政、松平忠輝、松平忠昌、酒井忠勝と領主が代わった。忠勝のあとへ真田信之が上田から移り、真田氏松代藩が幕末まで小田切を領有した。

 松代藩では藩士に土地を与える地方(じかた)知行制をとっていた。藩士の知行地は、ふつう数ヵ村に分散して与えられた。また知行地は本田に限られていた。寛文(かんぶん)元年(一六六一)の分限帳によると、小鍋村には二八人(うち大工六人)の藩士の知行地があり、総計六五九石余、村高八二六石の約八十パーセントで、大部分が知行地であった。最高五〇石、最低二石余である。宮野尾村は一二人で三三九石、最高三九石、最低一五石である。山田中村と吉窪村は藩の直轄地であった。