石高の変遷
小田切地区の検地は、慶長(けいちょう)七年(一六〇二)、森忠政によって初めておこなわれた。小鍋村七九八石余、山田中村三九一石余、宮野尾村四二二石余、吉窪村四〇五石余、計二〇一七石余、正保(しょうほう)四年(一六四七)小鍋村二八石余増、天保(てんぽう)五年(一八三四)山田中村七八石余、宮野尾村四九石余、吉窪村一六二石余、三ヵ村で二八九石余増加し、二三三三石余となり、以後は幕末まで変わらなかった。
表2 小田切村石高の変遷