国道一九号

734 ~ 735

江戸時代、西山中から善光寺へ行くには、小田切地区を必ず通った。今の国道一九号は江戸時代、大町街道・善光寺道ともいわれ、その起点は大町市大黒町で、美麻村、小川村や中条村と信州新町の境界の尾根道を通り、大安寺西で土尻川を渡り、飯森を経て、小田切の保玉に出る。ここから小市に出る間が難路であった。明治十八年(一八八五)花上集落のなかから犀(さい)川べりに造り変えられた。明治二十三年犀川の大洪水で県道大町街道の改修問題が起こり、犀川右岸に造り変える計画を立てた。上中堰組合は、用水路がこの計画の里道の下を通っていたことから反対したが、明治二十六年十一月二十八日着工した。両郡橋は、明治十一年吉窪の塩入離惣太が世話人元締めとなり、長野町・松代町ほか九三ヵ村から寄付金を募集して架橋した。昭和六年(一九三一)、鉄筋の橋になり、平成六年(一九九四)、一八本のケーブルに支えられた長さ八一メートル、幅一七メートルの新橋が完成した。花上トンネルは昭和二十九年に竣工、同五十九年に拡幅した。