国道四〇六号

735 ~ 736

裾花(すそばな)川沿いの鬼無里(きなさ)街道は、天保(てんぽう)十年(一八三九)、松代藩勘定奉行鈴木行貞が、地元の村人に呼びかけて着工した。完成間近の弘化(こうか)四年(一八四七)、善光寺地震で崩れ、文久(ぶんきゅう)二年(一八六二)にようやく完成した。この道は、岩の上に大木を渡したような道で、女性やこどもの通行は危険であった。明治十九年、小鍋村ほか五ヵ村連合土木組合がつくられ、改修に着手した。この費用の五〇パーセントは鬼無里村で負担し、同二十一年完成した。この道は百瀬の集落から裾花台団地の手前(「右鬼無里、左小川新町」の石標があった)に上り茂菅(もすげ)に出た。明治二十五年、改修して川沿いに付け替えた。小鍋橋(裾花橋)は松代藩八橋の一つで、小鍋村の負担で架設された。松島トンネルは昭和五十八年に建設され、安全に通行できるようになった。


写真10 右鬼無里、左小川・新町道