地すべり

739 ~ 739

犀川に流れこむ沢の主なものに、東から滝沢、表濁沢、保玉沢がある。裾花川に流れこむのは平沢、裏濁沢がある。これらの沢は深く両側は急傾斜で、地質も小川層の論地泥岩層や柵層の大久保砂岩泥岩層の粘土地帯である。表濁沢は、昭和二十年八月下旬の豪雨で、日方沢に面して旧小学校敷地と住宅六戸を動かし、幅三〇〇メートル、長さ一五〇メートルにわたって地すべりして、畑一〇町歩(一〇ヘクタール)に被害を与えた。裏濁沢は昭和十年三月、日方の地すべりで三戸、五町歩の畑が流された。同二十五年には、西の久保の畑三町歩が流された。昭和四十四年七月九日の夕方、平石の市道千木線で端を発した幅約七十メートルが決壊した土砂流は、一キロメートル下の田中集落まで押し出した。全戸に避難勧告が出された。十二日には、西沢権一郎知事も視察した。田中とその上の沢ノ入は、移転を決議した。翌年十月三日、沢ノ入の寛松寺でお別れ会を開き、西長野へ九戸など沢ノ入・田中の全戸が移転した。日方集落もこれに前後して移転した。


写真11 西の久保の大池 蓮がつくられている