昭和二十八年、第二次世界大戦で戦病死した七九人、青少年義勇軍三人、報国隊女子一人計八三人の名を、川後にある忠魂碑「忠烈千秋」に陰刻して慰霊した。この碑は最初、大正四年(一九一五)四月三日、日清・日露戦争での戦死者九人の慰霊のために建立したもので、のちにシベリア事変戦死一人、海軍志願兵二人の名も陰刻されていた。
戦没者の慰霊
昭和二十八年、第二次世界大戦で戦病死した七九人、青少年義勇軍三人、報国隊女子一人計八三人の名を、川後にある忠魂碑「忠烈千秋」に陰刻して慰霊した。この碑は最初、大正四年(一九一五)四月三日、日清・日露戦争での戦死者九人の慰霊のために建立したもので、のちにシベリア事変戦死一人、海軍志願兵二人の名も陰刻されていた。