上ヶ屋遺跡

759 ~ 760

飯綱高原には数多くの湖沼が散在しており、その周辺には先土器・縄文・平安各時代の遺跡がいくつかある。上ヶ屋遺跡は大座法師池の西北、標高約千メートルの小平地にある。昭和三十五年(一九六〇)に発見され、二回にわたって発掘した結果、四つの集礫(しゅうれき)群とそれを囲む多様な石器や破片が多数出土した。なかでも嘴(くちばし)のようにとがった特異な形をした石器は「上ヶ屋型彫刻器」と呼ばれ、その標式遺跡となっている。ここは先土器時代終末期の遺跡で、今からおよそ一万数千年前の遺跡である。当時の飯綱高原は格好の狩猟場であったのだろう。一ノ倉池のほとりからは剥片(はくへん)が出ている。

 大座法師池をはじめ麓原(ふもとばら)・長者屋敷などの高原地帯やその末端の軍足(ぐんだり)・大(だい)軍足にかけては、石鏃(せきぞく)や押型文などの縄文式土器が出土している。しかし、弥生時代になると遺物は少なく、わずかに裾花渓谷山腹の泉平に土器が発見されているだけである。古墳はない。高原の先端部の軍足からは平安時代の土師器(はじき)や須恵器(すえき)が出ている。岩戸集落からは布目瓦(ぬのめがわら)や須恵器が出土しており、古くは寺院があった可能性もある。