上ヶ屋荒井集落の北の尾根上にあり、古城と呼ぶ。東西の二方が谷に臨み、泉下を飯綱・戸隠への街道が通っている。葛山(かつらやま)衆の一族である立屋(たてや)四郎の城跡と伝えられ、付近に「立屋」の地名が残っているが、城跡の一部は近年宅地となった。元亀(げんき)元年(一五七〇)、立屋勘解由(かげゆ)左衛門は武田信玄から入山・北郷など三〇〇貫文を与えられており、立屋喜兵衛は上杉氏に属して朝鮮への渡海や出羽国庄内一揆の鎮圧に活躍している。
立屋城跡
上ヶ屋荒井集落の北の尾根上にあり、古城と呼ぶ。東西の二方が谷に臨み、泉下を飯綱・戸隠への街道が通っている。葛山(かつらやま)衆の一族である立屋(たてや)四郎の城跡と伝えられ、付近に「立屋」の地名が残っているが、城跡の一部は近年宅地となった。元亀(げんき)元年(一五七〇)、立屋勘解由(かげゆ)左衛門は武田信玄から入山・北郷など三〇〇貫文を与えられており、立屋喜兵衛は上杉氏に属して朝鮮への渡海や出羽国庄内一揆の鎮圧に活躍している。