『長野市の石造文化財』には、芋井地区で江戸時代以前の石造物で銘文のあるもの九五七基が記録されている。この数は市内の他の地区に比較すると群を抜いて多い。年代的にも永享(えいきょう)五年(一四三三)銘の観音像をはじめとして、古くて貴重なものが多く、石造物の宝庫ともいえる。
道祖神はほとんど各集落ごとに建てられており、上ノ平の元禄(げんろく)十六年(一七〇三)の道祖神は年銘のあるものでは市内最古である。馬頭観音は、飯綱登山道わきにある享保(きょうほう)年間(一七一六~三六)のものをはじめ、旧道沿いに多い。また、戸隠参道には古い道しるべが建つ。大谷地(おおやち)にあるのは元禄十四年の建立で「右はとがくし道 左はうえの道」と刻まれている。ここは戸隠神社方面と上野・栃原(とちはら)・鬼無里(きなさ)方面への分岐点であった。
札所観音や巡礼供養塔が多いのも芋井地区の特色である。とくに元禄年間(一六八八~一七〇四)の西国・秩父・坂東百番の供養塔が三基もあるのは巡礼の盛行を示すもので、なかでも影山の元禄三年供養塔は西国・四国・秩父の百番に四国八十八ヵ所と信濃三十三番を含めたもので、巡礼供養塔としては市内最古である。
飯綱登山道の十三仏は、文化(ぶんか)十三年(一八一六)大昌寺(戸隠村栃原)瑞応祥麟(ずいおうしょうりん)の建立。飯綱山頂には二〇基ほどの神祠(ほこら)があり、享保(きょうほう)九年(一七二四)建立の「奉山籠(やまごもり)一千日供養塔」がある。いずれも飯綱信仰の盛行を物語るものである。
庚申塔(こうしんとう)は、江戸初期の承応(じょうおう)・明暦(めいれき)年間(一六五二~五八)のものだけで六基を数え、庚申講の盛行を物語っている。なお庚申塔は、昭和五十五年(一九八〇)の庚申年にもほとんど全集落で建てられている。