一 神社

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 皇足穂命(すめたりほのみこと)神社 ①祭神 保食命(うけもちのみこと) ②由緒 奥社は飯綱山頂にあり、荒安に里宮がある。荒安の産土神(うぶすながみ)。古くから飯綱権現として信仰を集め、「飯綱神社」とも呼ばれる。古来吉田家の管轄下にはなく、明治四年(一八七一)に現社号を松代藩へ届け出て改称した。旧郷社。

 社伝によると天福(てんぷく)元年(一二三三)萩野城主伊藤忠綱が山頂に幣座(みてぐら)を設けたのが最初で、それ以来飯綱権現として信仰されたという。しかし、「戸隠山顕光寺流記(けんこうじるき)」などは嘉祥(かしょう)二年(八四九)ごろ、戸隠山を開いた学門行者は先に飯綱山で修行したと記しており、さらに、古くから山岳信仰の霊場として信仰を集めていたと考えられる。全国に広がっている飯綱信仰の発祥の地である。飯綱信仰はとくに室町・戦国時代が全盛期で、関白九条植道(たねみち)や管領細川政元も「飯縄(いづな)の法」に熱心だったという。また、上杉謙信は兜(かぶと)の前立てに飯綱神像を掲げ、印判にはその神名を刻んだ。武田信玄も飯綱権現を甲州へ勧請(かんじょう)し、また持仏としていつも身につけていたという。飯綱山は江戸時代のはじめには、兵法の修験場としても知られ、福井兵右衛門は飯綱山にこもって、神道無念流を開いたと伝えている。

 飯綱明神の神主は代々千日太夫と称した。弘治(こうじ)三年(一五五七)武田信玄は千日太夫の旧領を安堵(あんど)し、元亀(げんき)元年(一五七〇)にはさらに一八貫八〇〇文を加えて寄進した。そのほか芋川親正(ちかまさ)・武田勝頼もそれぞれ神領を寄進した。江戸時代には社領として荒安村のうち一〇〇石の寄進を受け、仁科甚十郎が神領を支配した。山頂の奥社には参詣者のための籠(こも)り堂が造られていた。安政(あんせい)二年(一八五五)の本殿再建には入山・広瀬・桜・泉平・上ヶ屋の五ヵ村で金五〇両を負担した。九割は高割り、一割は軒割りであった。現在も富田地区全戸が越年祭には里宮へこもり、山開きには神官とともに山頂へ登山する。里宮はうっそうとした社叢(しゃそう)につつまれ、その大杉は市の天然記念物である。

 御射山(みさやま)神社 影山 ①祭神 健御名方命(たけみなかたのみこと) ②由緒 入山の産土神。明治四十一年、伊弉冊尊(いざなみのみこと)ほか七柱を合祀(ごうし)。御柱祭は、以前は影山・犬飼両区によっておこなわれたが、現在は入山全区によっておこなわれている。祭日の草相撲はよく知られていた。

 葛山(かつらやま)落合神社 岩戸 ①祭神 伊弉冊尊 水速女命稚産霊命(みずはのめのみことわくむすびのみこと) 健御名方命 素盞嗚命(すさのおのみこと) ②由緒 入山の産土神。俗に葛山七郷の総鎮守と伝えられている。古くは熊野権現であったが、寛政(かんせい)十二年(一八〇〇)に社号允許(いんきょ)。本殿は一間社隅木(すみき)入り春日造。寛正(かんしょう)六年(一四六五)の建立で、棟札とともに重要文化財。天文(てんぶん)年間(一五三二~五五)の修理には桜小路(桜枝町)の「せんさえもん親子」があたった。境内にある諏訪社も同じく一間社春日造、室町時代末期の建造で、県宝に指定されている。境内には芦沢堰(せぎ)の守護神であった金比羅(こんぴら)社や裾花(すそばな)川端にあった洪水除(よ)けの八幡社などがある。社叢は市の天然記念物である。


写真8 葛山落合神社

 広瀬神社 広瀬 ①祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) ②由緒 大字広瀬の産土神。元禄(げんろく)の「堂宮改帳」には「飯縄宮」と記されている。文政(ぶんせい)八年(一八二五)社号允許(いんきょ)。明治四十二年、村内の津島社・諏訪社・熊野社・子安社・猿田彦社・葛城裾花(かつらぎすそばな)神社・金山社・伊勢社を合祀。境内に熊野社・十二社がある。なお広瀬では葛城裾花神社を広瀬元組で祭り、十二大明神を百舌原(もずはら)で、熊野大明神を上組で祭っている。

 京田諏訪神社 京田(きょうでん) ①祭神 建御名方命 ②由緒 京田の産土神。明治四十一年上ヶ屋神社へ合祀したが、昭和二十七年(一九五二)分離、独立した。境内に山ノ神社・荒神社・神明社・八幡社がある。

 十二神社 貉久保(むじなくぼ) ①祭神 水速女神(みずはのめのかみ) ②由緒 貉久保の産土神。明治四十二年本郷神社へ合祀したが、昭和二十七年分離、独立した。

 伊勢社 軍足(ぐんだり) ①祭神 天照皇大神 ②由緒 軍足の産土神。明治四十二年、本郷神社へ合祀したが、昭和二十七年ふたたび分離独立した。

 本郷神社 上ヶ屋 ①祭神 健御名方命 ②由緒 上ヶ屋平組の産土神。もとは諏訪社であった。のち村内の十二社・伊勢社を合祀した。御柱祭は盛大である。

 上ヶ屋神社 上ヶ屋 ①祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 健御名方命 ②由緒 上ヶ屋荒井組の産土神。明治四十一年、上ヶ屋の諏訪社・京田の諏訪社を合祀。境内には荒神社・山神社・伊勢神社がある。

 大(だい)神社 桜 ①祭神 天照大神 ②由緒 大字桜の産土神。もとは神明社で、今も伊勢宮と呼ばれる。明治四十一年、松久保の十二社、坂の飯綱社・諏訪社、中村の天神社・日月(じつげつ)社を合祀。

 泉平神社 泉平 ①祭神 健御名方命 ②由緒 泉平の産土神。素桜(すざくら)神社とともに諏訪社で、上の宮と呼ばれている。明治十二年社号を改める。境内に金比羅社・八幡社・鹿島社・伊勢社・飯綱社・秋葉社・牛頭天王(ごずてんのう)社・山ノ神社・子安社を祭る。社殿は文久(ぶんきゅう)二年(一八六二)の建立で、彫刻は茂菅(もすげ)小林佐吉の作。素桜神社と併わせて上下二社で御柱祭がおこなわれている。

 素桜神社 泉平 ①祭神 健御名方命 ②由緒 もと諏訪社で、下の宮と呼ばれたが、明治三十六年素桜(すざくら)神社と改称した。境内の神代桜は、国指定の天然記念物で樹齢は約千二百年といわれる。「アズマヒガン」または「エドヒガン」の一種で、この桜に材を採った謡曲「素桜」がある。樹下に神代桜碑などがある。

 新安神社 新安 ①祭神 加具土命(かぐつちのみこと) 健御名方命 菅原道真命 ②由緒 新安の産土神。元禄年間(一六八八~一七〇四)に戸隠山から火難除けの秋葉大神を勧請(かんじょう)して祭ったのが始まりだという。明治三十五年、諏訪社・天神社を合祀して新安神社と改称した。

 葛山神社 鑪(たたら) ①祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと) ②由緒 鑪村の産土神。もと葛山(かつらやま)城主落合氏の鎮守であったという。元禄の「堂宮改帳」には「八幡宮 三尺三尺 若宮」と記されている。境内に伊勢社・神明社・秋葉社を祭る。