松代領内の西部山中で生産される和紙は山中(さんちゅう)紙と呼ばれた。芋井地区では清水(清水版)・坂額(さかびたい)(本坂版)・広瀬(広版)で生産されるものが有名で、量は多くはないが、品質がよいので知られていた。明治の『町村誌』には、清水紙(山中紙)一〇〇束・坂額紙一八九〇束、いずれも「其質上等、出来高悉皆(しっかい)長野町へ輸送す」と記載されている。また、原料の楮(こうぞ)皮については、上ヶ屋村五三〇貫(二トン)、広瀬村六〇〇貫、入山村三〇〇貫、富田村三五二貫があげられている。芋井地区の和紙の生産は昭和の初期までつづいた。