県道長野-戸隠線

783 ~ 783

芋井地区を通る道路は、明治時代までは、戸隠参道のほかに新諏訪から横棚・鑪(たたら)・上ヶ屋を通って飯綱原へぬける道と、鑪から広瀬・入山を経て戸隠の上野方面へ通じる道路があった。松代藩では上ヶ屋に口留番所を置いて物資や人の出入りを取り締まった。文久(ぶんきゅう)二年(一八六二)の番所の普請には掛合村(かかりあいむら)として、芋井地区七ヵ村のほかに栃原(とちはら)・志垣(しがき)・追通(おっかよう)・小鍋・三輪・上松・北郷の各村が資金を負担した。大正の末に現在の県道長野-戸隠線が茂菅(もすげ)まわりになって着工され、数年で完成した。昭和八年(一九三三)から路線バスが運行を開始し、芋井村の中央部を横断する動脈となり、馬や荷車でにぎわった。かつて鑪の旧道沿いにあった馬頭観音が新道端に移されている。


写真12 戸隠参道大谷池の道しるべ