善白(ぜんぱく)鉄道

783 ~ 783

善光寺平と北安曇(あずみ)郡の白馬方面を結ぶ鉄道を開設しようという計画は早くからあったが、昭和四年善光寺白馬電鉄株式会社が設立され、翌五年に着工された。信越線長野駅と大糸線信濃四ッ谷駅を結ぼうとするもので、同十一年十二月には第一期工事として、長野駅から善光寺温泉まで開通し、芋井地区では一時はこれを利用して長野へ通勤・通学するものが多かった。同十七年には裾花(すそばな)口まで開通したが、同十九年戦争の激化とともに営業停止となり、線路は撤去された。