昭和三十九年に戸隠有料道路が長野県企業局により開通し、バードラインの愛称で呼ばれた。これにより飯綱高原・戸隠への観光客は増大した。しかし、同六十年の地附山(じづきやま)の地すべりによって上松の入り口が不通になったため、市道一ノ鳥居線が利用されるようになった。開設費を回収し終えたため、平成九年(一九九七)四月から無料化した。
戸隠有料道路
昭和三十九年に戸隠有料道路が長野県企業局により開通し、バードラインの愛称で呼ばれた。これにより飯綱高原・戸隠への観光客は増大した。しかし、同六十年の地附山(じづきやま)の地すべりによって上松の入り口が不通になったため、市道一ノ鳥居線が利用されるようになった。開設費を回収し終えたため、平成九年(一九九七)四月から無料化した。