泉平の抜け

784 ~ 784

傾斜地にある芋井地区はしばしば地すべりの被害をうけた。天保(てんぽう)五年(一八三四)二月九日の朝から正午のあいたに、泉平村西沖の道徳山(どうとくさん)から堰(せぎ)下沖にかけて大地すべりがあった。抜け口の幅は三五間(六四メートル)、最大幅二八〇間(五〇九メートル)、長さ三〇〇間余(約五四五メートル)で、田畑の被害は一五石八斗余りであった。地すべりは二度にわたった。桜・泉平・上ヶ屋三ヵ村では松代藩の見分を受け、人足三八〇九人を出して濁り沢の掘り割りをして水を落とした。三ヵ村では金三〇〇両をかけて開田したが、十四年目の善光寺地震でまた抜け落ちてしまった。この場所はそれより一〇〇年以前にも地すべりのあった常襲地帯であった。