昭和十一年(一九三六)四月十九日の昼すぎ、一ノ倉池の堤防が決壊した。折からの暖気に雪解け水があふれたためである。洪水は達橋(たっぱし)沢をくだり、両岸の立ち木や岩石をさらい、橋を残らず押し流した。そのため沿岸の耕地は削られ、地すべりを起こし、県道は不通となり、被害耕地は田三町余・畑四町余におよんだ。裾花(すそばな)川に押し出した土砂は、一時流れをためて善光寺温泉も床下へ浸水した。
一ノ倉池の決壊
昭和十一年(一九三六)四月十九日の昼すぎ、一ノ倉池の堤防が決壊した。折からの暖気に雪解け水があふれたためである。洪水は達橋(たっぱし)沢をくだり、両岸の立ち木や岩石をさらい、橋を残らず押し流した。そのため沿岸の耕地は削られ、地すべりを起こし、県道は不通となり、被害耕地は田三町余・畑四町余におよんだ。裾花(すそばな)川に押し出した土砂は、一時流れをためて善光寺温泉も床下へ浸水した。