一 戦後の文化活動

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 第二次世界大戦は、芋井地区からもおよそ百人の戦死者を出した。また、東京都梅島国民第一学校の集団学童疎開一一三人を法学寺・観音寺・松参寺へ受け入れた。ほかに、縁故による疎開学童も五八人におよんだ。一般の疎開者も多く、善光寺温泉でのようすは石川達三の小説『暗い嘆きの谷間』に書かれている。

 飯綱高原では長野市内の中等学校生徒による食糧増産のための開墾作業もおこなわれた。