村名「七二会村」は、明治九年(一八七六)五月三十日合併時の村名である。このとき、村内の利害得失が起きないことを条件に協議し命名したという。数字の七は近世七ヵ村名である瀬脇・黒沼(倉並)・五十平(いかだいら)・橋詰・岩草・大安寺(だいあんじ)・笹平をあらわし、二は黒沼(倉並)村から分立した坪根・古間の二ヵ村を指し、九ヵ村が協力し合っていく村という意味であろう。
三 村名「七二会」の由来
村名「七二会村」は、明治九年(一八七六)五月三十日合併時の村名である。このとき、村内の利害得失が起きないことを条件に協議し命名したという。数字の七は近世七ヵ村名である瀬脇・黒沼(倉並)・五十平(いかだいら)・橋詰・岩草・大安寺(だいあんじ)・笹平をあらわし、二は黒沼(倉並)村から分立した坪根・古間の二ヵ村を指し、九ヵ村が協力し合っていく村という意味であろう。