萩野城跡

806 ~ 807

橋詰・岩草 地蔵峠の西方によった峰、知足院集落の背後にある。標高一一七六メートルの西嶺(みね)と一一八四メートルの東嶺がある。西嶺は広く本郭と二の郭がある。そのまわりには腰郭が巡らされている。東嶺には脇郭がある。本郭と脇郭のあいだと脇郭の南に堀切がある。城跡にはおよそ二〇ほどの穴があいている。

 この城は春日氏の築城ともいわれるが、山麓(さんろく)の人びとの自衛のための城とも考えられている。また伊藤豊前守忠縄は萩野城主だったという。飯綱山を守る修験(しゅげん)の元締千日太夫は、その子孫であるという。

 山頂から稜線にかけては上水内郡中条村との境界のため、平成五年(一九九三)六月十日に長野市と中条村がそれぞれ文化財に指定した。