五 石造文化財

807 ~ 809

 七二会地区は石造文化財の宝庫である。『長野市の石造文化財』によれば五七六基。そのうち主なものは馬頭観世音一〇四、庚申塔(こうしんとう)七三、三十三ヵ所巡拝塔六七、六地蔵四六、道祖神三七、そのほか貴重な石塔もある。

 馬頭観世音は馬の多い土地柄、とくに倉並・平出・岩草に多い。倉並の見留目(みるめ)には新旧数十基並んでいる。造立年時は寛政・文化・天保のものがよくみられる。

 庚申塔はほとんどの集落にある。守田神社の境内には文化(ぶんか)六年(一八〇九)の「猿田彦命」の文字碑に迫力ある天狗(てんぐ)の像が刻まれた碑がある。笹平の正源寺裏山には年々造立したという二九基の庚申塔が置かれている。


写真5「猿田彦命」守田神社境内にて

 巡拝塔は性乗寺境内に寛政(かんせい)八年(一七九六)建立の百番観音がある。また、陣場平(じんばだいら)登り口から地蔵峠まで三基ごと一一ヵ所(二、三欠けている)に信濃三十三番御詠歌を彫った観音像が置かれている。この道を昭和四十六年(一九七一)長野市で「三十三間堂遊歩道」としている。

 六地蔵は丸彫りや光背型が多いが、平出と笹平には一石六体像がある。

 双体道祖神は中越(祝言像)・倉並(組手像)・坪根(握手像)にある。近年まで中越では祭りをやっていた。また、倉並には「お茶かけ道祖神」がある。今もお茶をかけて信仰しているという。

 古い石塔は大安寺墓地に三基ある。永和(えいわ)二年(一三七六)南北朝時代の大安寺開山雷峰妙霖(らいほうみょうりん)寿塔(市文化財指定)、室町時代の永享(えいきょう)三年(一四三一)と長享(ちょうきょう)二年(一四八八)の宝篋印塔(ほうきょういんとう)である。春日山神社には春日氏寄進といわれる灯籠に宝徳(ほうとく)元年(一四四九)九月と年号がある。五輪塔では大安寺境内の東側に雷峰妙霖の墓と思われる「おぼとけ様」という大きなものがある。そのほか忠恩寺境内や小坂九基、知足院五基、陣場平入り口一一基と群をなしている。中世武士の墓らしい。陣場平には貞享(じょうきょう)五年(一六八八)処刑された義民峯村伊兵衛の「伊兵衛睨(にら)みの碑」や明治三十九年(一九〇六)十一月「官有地下戻(さげもどし)記念碑」がある。また、萩野の入り口には明治三十年四月建立の酬労碑(しゅうろうひ)があり、火災のあと家を建てているとき家が倒れ下敷きになった人、麻煮のとき釜が破裂して熱湯を浴びて即死した人、水車小屋で万力(まんりき)にかまれ倒れた人など、この一年間に起きた痛々しい事件が刻まれている。