知行地と蔵入地

815 ~ 816

松代領には藩の直轄地である蔵入地と地頭(藩士)の知行地がある。寛文(かんぶん)元年(一六六一)に蔵入地と知行地が混在した村は、瀬脇村、五十平村、橋詰村、岩草村であった。年貢の収納は蔵入地分は名主、知行地分は蔵本(くらもと)がおこなっていた。また、各村の地頭数と本田高に対して知行高の割合は瀬脇村九人、六二・四パーセント、五十平村三人、五二・〇パーセント、橋詰村一四人、五五・八パーセント、岩草村二人、五・四パーセントであった。