村高の変遷

819 ~ 819

七二会地区の近世末の村高は黒沼村約八百石、橋詰村・岩草村・瀬脇村約四百~五百石、五十平(いかだいら)村・大安寺村約二百石、笹平村約五十石。全般に小村のためか近在の村にくらべて少ない。地区全体で慶長(けいちょう)七年(一六〇二)と明治元年(一八六八)を比較すると四二九石、約一・一七倍増えている。その増加分は陣場平(じんばだいら)山に近い黒沼村・岩草村・橋詰村などが目立っている。これは農業技術の進歩にともない山地の開発が可能になったためであろう。