笹平の定期市と糸市

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笹平は春日氏の居館跡である。そのころ、すでに定期市が開けていただろう。松代領になって、寛政三年十一月二十日、市神を境に、上町と下町に一旬一回、六斎市を立てるよう指示されている。寛永(かんえい)四年(一六二七)の笹平村検地帳によれば総筆数一三二、うち屋敷七六。かなり町造りがされていた。享保(きょうほう)十七年(一七三二)には毎月一・八・十一・二十一・二十八日上町市。五・十五・十八・二十五日が下町市を開く九斎市となった。笹平市の主なものは、農閑稼ぎの麻布・蚊帳地・楮の特産物の交易であったという。

 天保(てんぽう)四年(一八三三)から糸市が開かれ、糸締掛(いとしまりがかり)がいた。文政(ぶんせい)九年(一八二六)松代に糸会所が設置された。同十三年領内に糸元師(糸師)が一二二人、うち笹平に二人いて挽子(ひきこ)に賃挽(ちんひき)をさせていた。また、繭(まゆ)の仲買人は一〇人いる。繭は仲買人が集めて糸元師や挽子に渡り、糸となって糸市で売りさばかれていった。その後も笹平は繭の取引場となってつづいた。