大豆と凍豆腐

821 ~ 822

七二会地区は大豆の特産地である。明治初めの『町村誌』では収穫高七九三石(一四三立方メートル)、うち三〇〇石は埴科・更級へ移出している。七二会村産業組合は明治四十二年大豆を凍豆腐に加工し販売することを計画した。同四十四年製造戸数一六、四万五〇〇〇連を製造し県外にも販売した。同四十五年の大豆は作付反別二六一町歩(二五九ヘクタール)、収量二五七九石(四六五立方メートル)である。

 大正十三年十二月「七二会村凍豆腐(しみどうふ)組合」を設立した。その後、畑地の桑園化が進み、昭和十一年作付面積一六七町歩(一六六ヘクタール)、収量一三二八石(二四〇立方メートル)と減少した。凍豆腐場一二ヵ所、従業員六〇人で在来凍豆腐二二万連、文化凍豆腐一三切、売上高五七〇〇円という。七二会の凍豆腐製造は戦後昭和二十年代にもつづいていた。