牛馬の飼育と酪農

822 ~ 822

寛政九年岩草村の馬数一七、天保二年橋詰村四〇であった。同九年笹平村に牛一、馬七がいた。七二会村では明治十三年牛四、馬一六一。大正四年牛三四、馬三二九。戦後は酪農を目指して乳牛を導入、戸隠山麓集約酪農地域の指定を受けて、昭和三十八年乳牛五二五、役肉牛七五、馬五となった。農家の三五パーセント、三四七戸は乳牛を飼育し、養蚕につぐ現金収入をあげていた。