西河原の地すべりと地割慣行

825 ~ 826

谷原(やはら)の西側を西河原という。地すべりの常習地で、流れている沢を泥沢(どろざわ)といって犀川に流れこんでいる。水田は俗に千枚田といって棚田(たなだ)になっている。昭和二十年(一九四五)十月豪雨のため地すべりを起こした。定谷の西斜面に林をなしたけやきも根こそぎすべりだし、なかには周囲一・五メートルの大木が引き裂かれたものもあったという。谷原では一七ヘクタール、定谷は数ヘクタールの荒廃地となった。

 地すべりが起きると耕地の所有位置によって面積に不公平ができてくる。ここでは昔から谷原に、「割り上げ岩」(大岩)という不動の岩がある。この岩を基準に測量し、耕地の再分割をしている。土尻川沿いには地すべり地が多いが、このような地割慣行のあるところはほかにはないという。


写真12 不動の割り上げ岩(大岩)

 七二会地区の「地すべり等防止法」による地すべり指定地域は一三ヵ所、五六三・四四ヘクタールである(平成元年・一九八九)。その主な地域は古間・倉並・遠見・西河原などで全体の五二・八パーセントを占めている。地すべり地では井戸や集水トンネルを掘って水抜きをしたり、沢に堰堤(えんてい)をつくって地すべりを防いでいる。