文芸にみる人びと

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寛政(かんせい)七年(一七九五)、一茶と交遊のあった善光寺町の戸谷猿左(えんさ)の俳書『蓬(よもぎ)の春』に笹平の可秀・渡鶯(とおう)の句が載っている。また、安政(あんせい)二年(一八五五)には善光寺町の林叢(くさむら)追善集『あきのかぜ』に笹平の一燕・此信の句がある。渡鶯の句は「舟人の呼声うれしかれの原」で笹平の舟渡しの情景であろう。明治十二年七二会地区を訪れた、井上井月(いのうえせいげつ)が元治(げんじ)元年(一八六四)出版の『いへつと集』には、古間の椿葉・祐月・菊節・重山・嵐山・月花・夕日・楽三・松風、岩草の寿守・千九山、橋詰の全秀、笹平の原逸の句がある。井月は新潟の出身、伊那地方で死に、死後芥川龍之介らの推賞で名声が高くなった。

 大正期には悟堂・福吾・北陽亭仏国・伴雪、好古・池水・鉄秀・菊(きく)の舎(や)・桂北・逸演・北岳・北悦・紅苑・酔鶏・鹿外・一政・輝人・東月など句に興ずるものがいた。菊の舎は歌集『茨(いばら)の実』『太田菊の舎集』を刊行した。漢詞の早川万蔵は『臨渓世外(りんけいせがい)詩集』を発刊、七二会を詠んだ歌が多く、七二会公民館ではその吟詠集を作った。最近の歌集・句集では滝沢茂の『滝沢茂歌集』、石坂朋幸『句集寝せ桑』、内川なか『犀川峡』、山口浄『歌集なにあいの里』、才口四郎の『銀鈴』などが刊行されている。山本剛は昭和四十四年宮中歌会始めの御題「星」に「いわつぼめ声しきりなり白馬岳 雲表とほくあけの星見ゆ」で佳作入選している。七二会学校校歌も作詩し、歌集『朝光』『星』を刊行している。