農業離れと産直野菜ボックス

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昭和三十年の耕地面積六三三ヘクタール、農家率八四・四パーセントと、七二会地区は農業地帯であった。しかし、平成七年(一九九五)には耕地面積一五九ヘクタール、農家率三七・三パーセントと減少し、遊休地が年々増えている。かつては麦・豆と養蚕、酪農の村であった畑や桑畑が荒廃している。小麦は輸入におされ、昭和三十六年生産額五一七トン、四十年に一六五トンと急減してきた。戦後、馬にかわって牛の酪農が盛んになった。昭和三十八年五二五頭、牛乳生産一〇五六トンがピークで飼料代の負担も大きく、設備投資が必要であったことから年々減少した。養蚕は昭和四十年でも飼育戸数五二五、収繭量一一万六〇〇〇キログラムと根強く飼育されていたが、繭糸価格安定法の廃止や化学繊維の発達によって困難となり、現在はほとんど飼育されていない。

 平成七年世帯主の年齢別農家数をみると、六〇歳以上が六四パーセントと高齢化が進んでいる。そこで長野市西部農協(JAながの西部支所)はキャベツ・レタス・トマト・インゲンなどの野菜栽培を進めた。昭和六十二年からこれらの野菜を旬にあわせ五品ぐらい箱詰めにした「高原野菜ボックス」をつくり、大阪の生活協同組合おおさかパルコープに発送している。新鮮で評判がよく、平成六年度には二四万九四九八箱(一箱九八〇円程度)発送している。


写真17 産直野菜ボックスの発送 さいがわ青果物センターにて