国道一九号の改修

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七二会地区にとって、国道一九号は生活に関係深く、長野市街と短距離になり、安全で渋滞のない道が強く望まれる。幸いオリンピックの開催もあって改修が着々と進められてきた。

 犀川下流地域からみると、旧両郡橋(延長五〇・七メートル、幅員五・五メートル)は昭和十年十二月に竣工したものであったが、平成六年八月十八日新しい両郡橋(延長八一・五メートル、幅員一六・五メートル)ができた。昭和二十九年に小田切ダム建設のためにできた双子トンネルは、大型自動車の行き違いができなかったが、平成七年三月十三日犬戻トンネル(延長七二七・〇メートル、幅員一〇・七五メートル)の完成で渋滞が解消した。同九年三月十八日には国道一九号長野南バイパスの開通にともない小松原トンネルも開通した。信里地区村山と瀬脇を結ぶ明治橋は、明治二十六年(一八九三)木造橋、昭和九年六月十日鉄筋コンクリート橋(延長一〇六・〇メートル、幅員五・五メートル)の架橋という歴史をもつが、平成六年十月二十五日新しい橋(延長一四六・〇メートル、幅員一三・〇メートル)ができた。両側に二・〇メートルの歩道と景色を楽しむバルコニーも取りつけられている。明治橋から七二会商工会までの二四五メートルを、総幅員一三メートルに改修し、七二会地区の玄関口としてのイメージを高めている。


写真18 明治橋の開通式

 笹平地区の道路事情を改善するため、除(よけ)沢をはさんで松本側の第一トンネル(延長五八六・〇メートル)を平成七年八月着工、同八年六月貫通。長野側の第二トンネル(延長五二一・〇メートル)を同六年十一月着工、同八年六月貫通した。完成は同九年秋の見込みである。昭和六年八月建設した大安寺橋(延長一一三・五メートル、幅員五・五メートル)は、犀川と直角に架かっていた。昭和六十年一月二十八日、日本福祉大学スキーバスが転落するという不幸な事故が起きてしまった。道路を直線的に結んだ新しい大安寺橋(延長二九一・三メートル、幅員一三・八メートル)は、同六十一年三月竣工した。車道幅員九・〇メートル、両側に歩道がついた。

 飯森と信里地区村山の国道一九号とを結ぶ小笹橋(延長一三四・〇メートル、幅員三・〇メートル)は、昭和二十九年十一月木製の吊(つ)り橋でつくられていたが、昭和四十八年十二月新しいセメントの橋に架け替えられた。

 平成二年九月二十九日(七時~一七時)明治橋手前(瀬脇)の交通量調査では、大型車一〇三六、普通車一万一七二、軽自動車一八一〇、二輪車三二二台である。