過疎化と陣場平山

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七二会地区は昭和四十年戸数八六一、平成八年八一九(七二会荘を除く)と三一年間に四二戸減少した。うち団地造成をした古間区では六九、瀬脇区は一八と増加している。逆に、岩草区三三、笹平区二八、坪根区二一などはじめ他の区は減少している。人口も昭和四十年三九六九人、平成八年二四三七人。うち古間区は一七九人の増。他の岩草区三五四人、平出区二五〇人、笹平区二四〇人、坪根区一九四人、橋詰区一九三人、五十平(いかだいら)区一五二人、瀬脇区一五一人、大安寺区一〇七人、倉並区一〇〇人と減少している。七二会地区ではこれに対し、市道等の道路の改良促進、農地の基盤整備と機械化、遊休農地と空き家の活用、大安寺住宅団地の造成、農業集落排水事業の推進、湧水の商品化、陣場平山の開発など、七二会らしさを生かした魅力ある地域づくりをめざしている。

 とくに陣場平(じんばだいら)山は七二会地区の象徴の山である。林産資源の確保、水源の涵養(かんよう)に加えて、青少年山の家、グラウンドの建設、遊歩道の開設、展望台、東屋(あずまや)の設置など観光面や道路の整備にも力を入れてきた。陣場平山は歴史的に春日氏や武田、上杉の兵(つわもの)どもの跡がしのばれ、また、祖先の血と汗を流した貞享の山論、官有原野下戻運動の尊い山である。眺望のよい自然豊かな陣場平山を、これからどのように守り育てるかが大きな課題である。