行政区画の分合

843 ~ 843

綿内地区は近世のはじめには松代領綿内村であった。元和(げんな)二年(一六一六)須坂の堀直重領となり、須坂領のまま廃藩にいたった。通称綿内三〇〇〇石といわれ、高井郡最大の村であった。明治五年(一八七二)の戸籍区で第三八区に属した。明治七年に大小区制が施行されると、北第一七大区第三小区となった。同十二年、大小区制は廃止され、高井郡は上下に分割された。綿内村はそのまま一村として上高井郡に所属した。同十九年十二月十四日、千曲川西岸の綿内村土屋坊(どやぼう)組は綿内村から分離し、上高井郡福島(ふくじま)村西組および上水内(かみみのち)郡北長池(きたながいけ)村の一部と合併して屋島(やしま)村となり、上水内郡に所属した。