保科川は若穂中学校付近から天井川となって、保科橋・菱川(ひしかわ)橋付近では右岸の水田地帯の低地面との差は六(メートル)ほどある。この低地面の田中地籍に、不規則ではあるが長地(ながち)型の条里的遺構を残している(『上高井郡誌』)。この地割跡は、田中条里的遺構といわれ、東端は西に張り出した太郎山支脈の山麓(さんろく)貯水池から、西端は保科川、南端は若穂中学校あたりから、北端は若穂駅あたりに囲まれた区域である。ここの水田は南北ほぼ一一〇メートル、東西ほぼ一一メートルほど、なかには二二~二三メートルほどの耕地もあるが、畦畔(けいはん)によって短冊形に区切られている。また、これらの水田の南北両端には、それぞれ三~四メートルほどの道が東西に通じている。この道路形態は、若穂中学校付近から古屋にある北野美術館付近の道路まで見られる。田中集落はそのなかほどに位置する。