大柳・亘里郷

849 ~ 849

平安期末、源満実(みなもとのみつざね)は井上氏を称し、村山(むらやま)・米持(よなもち)・高梨(たかなし)・須田(すだ)・綿内(わたうち)を領した。井上氏の発展にともない、綿内東部山寄りには小柳(おやなぎ)郷、北部千曲川自然堤防上には亘里(わたり)郷が成立した。応永(おうえい)七年(一四〇〇)九月、信濃国新守護小笠原長秀に抗した井上一族について「井上左馬助光頼は舎弟遠江守・万年・小柳・布野(中略)その勢五百余騎、千隈河(ちくまがわ)河びれに陣取り」と『大塔(おおとう)物語』は記している。井上陣中にみえる小柳・万年は綿内地区の地名を氏名とした井上一族である。諏訪神社に奉仕した土豪・郷に宝徳(ほうとく)四年に「亘里」、享徳(きょうとく)三年に「小柳」がみえる(「諏訪御符礼之古書」)。戦国時代末に井上氏が滅亡するまでこの郷名はつづいたものと思われる。


写真4 山頂に城跡をとどめる城ノ峰(春山城跡)