五 石造文化財

851 ~ 852

 綿内地区には、二百余の石造文化財が『長野市の石造文化財』に記載されている。そのなかで多いのは道祖神(二四基)と庚申塔・地蔵・六地蔵(各二二基)である。川中島地方でよく見られる徳本(とくほん)念仏塔は正満寺境内の一基のみで、高さ三・一メートル、市内最大の念仏塔である。この地区にある石像には「湯神さん」「オコヨシさん」「金掘り地蔵さん」のように「さん」と呼ばれて地元の人びとに親しまれているものが多い。

 「湯神さん」は、めだか池の東山沿いの鉱泉が湧出(ゆうしゅつ)しているところにある。高さ六〇センチメートルほどの薬師如来の立像である。江戸末期ごろ、ここに湧出する鉱泉を、天王山遊歩道登り口の懸崖(けんがい)の下まで、木竹などの樋(とい)で引水した湯場が建設された。明治になってからもこの湯場は、近在の人びとから「銭湯」として愛された。石像薬師如来の立像もこのころ建立され、だれいうとなく「湯神さん」と呼ばれるようになった。

 「オコヨシさん」は、山新田の宮王神社境内にある、高さ六四センチメートルほどの自然石の中央部に、こどもを抱いている光背型座像の子安観音像である。子宝に恵まれない婦人たちは、この子安観音に供えてある小石三個をいただき、家に持ち帰って拝むとこどもが授かると伝えられている。「オコヨシさん」は、「お子を恵んでくださるよい仏様、ありかたい仏様」という、子宝に恵まれた女性たちによってつけられたものであろう。

 「金掘り地蔵さん」は、大柳の下村より蓮台寺に行く道筋にある。この地蔵は、白い小麦粉がつねに振りかけられて白いところから、「だてこき地蔵」「おしろい地蔵」とも呼ばれている。この粉を皮膚病・切り傷・でき物などにつけると治るといわれ、治ったらお礼参りに白い粉を地蔵に振りかけて礼拝する。今日でも白い粉が振りかけられており、帽子・前掛けなどがときどき新しく取り替えられるという。

 小内(おうち)神社境内にある天永(てんえい)元年(一一一〇)と記年された庚申塔は、江戸中期以降の特徴である三猿が陽刻されているところから、記刻の際に「安永(あんえい)元年」(一七七二)の「安」を「天」と誤ったものと思われる。