仙仁入一〇ヵ村との出入り

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「仙仁入(せにいり)」は、綿内村と福島・井上・仁礼・高梨・八町(はっちょう)・九反田(くたんだ)・幸高(こうたか)・栃倉(とちぐち)・仙仁(せに)・中島(以上、現須坂市)の一一ヵ村入会である。享保五年、仙仁入の境界争いが小県(ちいさがた)郡五七ヵ村とのあいだに起き、一一ヵ村は幕府に訴えることになった。この訴状に綿内村が除外されたことで一〇ヵ村と綿内村とのあいだに出入りが起きた。綿内村が松代藩に差し出した「仙仁入口上書」に、「仙仁入は綿内村も入っている一一ヵ村の入会山で山高七石三斗の年貢を上納してきている。ところが、相談もなく原告から綿内村が除外されている。原告として除外されると、これを理由に入会村を除外されかねない、これでは百姓が立ち行かない」とある。綿内村は入会山に遠く、利用度は他の村とは違って低かった。この出入りのあった前年には入会山の分担金問題で、村高割りを主張した仙仁・仁礼の山元村と、利用高割りを主張した綿内村の対立があった。このしこりが幕府訴状の綿内村除外の原因になったと思われる。この事件は、松代藩の仲介で一一ヵ村まとまっての訴状となったが、同七年幕府の裁許がくだり、一一ヵ村は小県郡村々に敗訴した。