嘉永(かえい)(一八四八~五四)ごろの綿内村の産物は、『三峰記』によると、山新田の煙草(たばこ)、千曲川の鯉(こい)・鮭(さけ)・青鷺(あおさぎ)、土屋坊(どやぼう)の芋(いも)・小麦、牛池の畑初物(はつもの)、温湯の蓮根・くわい、綿内の木綿をあげている。明治初年の産物に蓮根六四〇〇貫(二四トン)・梨(なし)一六〇〇貫・木綿六四九〇貫・煙草四三〇〇貫(一六トン)・藍(あい)一〇〇貫・油種三〇〇石(五四立方メートル)・瓦三万枚・鶏三二五〇羽・蚕卵一万枚・繭二二〇〇貫(八・二五トン)があり、主として長野・須坂に出荷していた(『長野県町村誌』)。また、根守(ねもり)の粘土を原料にしてこんろが製造され、五〇〇個のこんろを須坂・長野へ移出している。