消防制度・施設の整っていなかった江戸時代は、火元の近隣が類焼する程度の火災でも大火になることがあった。天明(てんめい)三年(一七八三)三月二日、真夜中に古屋組から発生した火事は、上町組・下町組・上万年・中万年・下万年の組々を残らず焼きつくし、午前六時すぎごろ鎮火した。この大火で一三五軒が焼失した(『須高』第四〇号)。綿内村堀内家の「煙草・水油勘定帳」(綿内 堀内豊城蔵)に、「三月二日夜類焼にて焼失のたばこ一六一固(こおり)也」とある。
天明の大火
消防制度・施設の整っていなかった江戸時代は、火元の近隣が類焼する程度の火災でも大火になることがあった。天明(てんめい)三年(一七八三)三月二日、真夜中に古屋組から発生した火事は、上町組・下町組・上万年・中万年・下万年の組々を残らず焼きつくし、午前六時すぎごろ鎮火した。この大火で一三五軒が焼失した(『須高』第四〇号)。綿内村堀内家の「煙草・水油勘定帳」(綿内 堀内豊城蔵)に、「三月二日夜類焼にて焼失のたばこ一六一固(こおり)也」とある。