綿内村で寺子屋による教育が盛んになるのは、幕末から明治初期にかけてである。『上高井郡誌』には八人の寺子屋師匠が載っている。師匠の職業は僧侶五人、医師二人、神官一人である。人口の多い大村で、街屋をなして経済活動が盛んであった割合に村内の寺子屋は川田・保科に比べ少なかった。これは近隣の保科村小宮山立意(医師)や井上村の師岡祐右衛門(農)の寺子として村外通塾したことにもよる。
『上高井郡誌』記載の綿内村の寺子屋師匠には、宇佐美智観(ちかん)・同雲岳(うんがく)・同美智(みち)(岩崎・善法寺僧)・小山忍成(清水・僧)・堀内道純(どうじゅん)(町組・医師)・片山政浮(まさうき)(森・小内(おうち)神社神官)・依田玄恭(げんきょう)(古屋・医師)・西沢桂峰(けいほう)(古屋・僧)がいた。