天王祭り

873 ~ 874

天王祭りは弥栄(やさか)祭りとも呼ばれ、弥栄社(祭神は素佐之男命(すさのおのみこと))の夏祭りである。弥栄社はもと清水神社にあったが、明治四十一年(一九〇八)の神社合併によって小内神社に合祀(ごうし)された。「万(よろず)覚帳」(宮沢綾子所蔵)に「天王卸(おろ)しの儀は往古より町御制札前に六月十五日より仮家を作り、二十一日まで御計り立て置き候を、寛政(かんせい)六年(一七九四)より須坂へ郷中一統の願書したため御願ひ申し候ところ」許可されたとある。天王祭りは少なくとも二〇〇年以上にわたって受け継がれてきた綿内地区の伝承行事といえよう。

 今日の天王祭りは、毎年八月一日に小内(おうち)神社より綿内町通りに設けられた仮社殿に奉斎(天王おろし)し、同七日に天王上げとなって本殿に遷御(せんぎょ)される。六日の大祭には祭事・獅子舞があり、町内からの神輿(みこし)・神楽(かぐら)の奉納があってにぎわう。七日に天王上げがおこなわれ、小内神社において大神楽囃(ばやし)・千秋楽(せんしゅうらく)の謡曲の仕舞があって祭典は終わる。寛政二年須坂藩は「若者どもは寝る間も寝ずに手間隙つぶして練習しても、手慣れていないので不調子たらたらで物笑いになるだけだ。また、近隣の若者どもが寄り集まるので、時にはけんかも起きる、無益のことである」と、綿内村の天王祭りの神楽・獅子舞などを自粛することを勧告している。