農民運動と農地改革

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戦後の農村の民主化は、制度的には農地解放によるところが多い。綿内村も例外ではない。しかし、終戦初期の民主化推進にあたっては、日本農民組合や日本社会党の影響を強く受けた点に、この地区の戦後の民主化の特徴があったといえよう。昭和二十一年(一九四六)四月、婦人参政権のもとでおこなわれた衆議院議員選挙では、日本社会党から綿内出身の本藤恒松(ほんどうつねまつ)が当選した。本藤はこのとき、日本社会党ならびに日本農民組合の上高井支部長であった。地元の綿内は、本藤の影響を強く受けた。日本農民組合の運動は農地改革を中心に進められたが、農地改革が一段落すると、その手がかりを失い、運動は停滞していった。

 綿内地区は農地解放がおこなわれるまで、小作地は全耕地の三七パーセントほどを占め、小作料は収穫高のほぼ半分にあたった。戦後の農地改革では、一一八ヘクタール余の小作地が解放された。この結果、同二四年の小作地は七二ヘクタールとなり、耕地に占める小作率は一四パーセントに激減した。