綿内や川田、保科では「箱しょい」と呼ばれた青果物の行商がおこなわれていた・農業のかたわら家計を補うために農家の婦人たちが、野菜や山菜などを箱に詰めて、背負って売りにいったところからこの名が生まれ、「背しょい」ともいった。背負い箱にかわってリヤカーになると「引き売り」と呼ばれた。自家生産物や、近所で買い集めた青果物をお互いに交換して、品目を豊富にし、さらに市場で買い足したりして、長野・須坂市内のお得意先を訪問販売した。盛んなころは、綿内では一〇〇人ほど、冬期には三〇〇人におよぶ「箱しょいばあさん」がいて、蓮根・大根・酒粕(さけかす)など行商したという。