高速道の開通と地域の開発

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綿内地区は、上高井郡南部の井上・川田・保科を主な商圏とした経済活動が盛んな地域であった。上信越自動車道路が開通するまでは、道路網の不備もあって、地域外からの企業の進出にはみるべきものがなかった。自家用車が普及し、長野・須坂への通勤者が増えるにしたがい、客足を須坂市や長野市街地に奪われ、経済活動は停滞していた。昭和六十一年の事業所は建設業五八(従業者数三八六人)、卸小売・飲食業七七(二三〇人)と、これら業種で事業所の六割を占め、家内的零細企業が多かった。上信越自動車道が開通し、近接地に須坂長野東インターが設置されると、この地域の開発は急速に進んだ。

 平成八年(一九九六)に須坂長野東インター南に市による東山工業団地(三〇区画・約一〇ヘクタール)、同九年にインター西に「綿内北トラックターミナル」(八区画・約十二ヘクタール)が造成分譲されてからは、新興工業・住宅地帯に変貌(へんぼう)しつつある。綿内中央区画整理事業組合は約一四ヘクタールの住宅団地を造成し、同十二年には分譲する予定で造成を進めている。