保科御厨・長田御厨

893 ~ 893

川田地区は律令制度下では保科郷域に入っていた。中世に入るとこの郷に保科御厨・長田御厨が成立して川田地区は両御厨の領域となった。この両御厨の神明社は、小出の長田神社と推定されている。長田神社は町川田・東川田・小出・保科・赤野田(保科地区)五ヵ村の産土(うぶすな)社であったので、これらの村々が保科・長田御厨の範囲と考えられる。保科村は長田神社の祭祀(さいし)の元締めで、また社殿の扉の鍵も預かっていた。これは中世の御厨時代に保科村が中心的役割を担っていたことを示すものであろう。