河田氏館跡

894 ~ 894

川田小学校の南、赤野田川(あかんたがわ)を挟んで古屋敷(ふるやしき)・古城(ふるじょう)・玉ノ井(たまのい)・西堀(にしぼり)・長町(ながまち)・枡形(ますがた)の小名がある。ここに河田氏の館があったと伝えられている。東西約二百五十メートル・南北約三百メートル、今は耕地になっている。村上氏の幕下、川田対馬守が居館したという。天文二十二年武田氏に破れた村上義清は、上杉謙信を頼って春日山に逃れた。このとき、対馬守も義清に従い越後に走り、上杉家の家臣となった。